今に通じる都々逸という文化
日本人は短文が好きな民族だと思う
というより、含みのある言い方というのか一つのものに対して意味をたくさん載せるのが大好きなんだろうなと思う
「生」という一文字だけでも
・生き物全般に宿っている生命としての生
・生き方などに使われる生きている過程そのものに対する生
・死の反対としての生
・焼き物などの状態に対する生
他にもたくさんあるのだろうがとにかくたくさんの意味を二郎ラーメンよろしくましましモリモリにして渋滞させているのが日本語なんだろうなぁと感じている
一つの単語だけでこんなにも渋滞させてしまうもんだから日本人というのは文学だったりでも多くを語らないし
会話でも説明をせずに「察してよ」「読み取ってよ」なんていうハイコンテクスト(めんどくさい)文化が生まれてきたんでしょう
最近、京文化や京都のマナーについてのコラムを読んでても感心したのは
説明をわざわざしたりするような文化がないもんだから日本人というのはとにかく読み間違えだったりすれ違いだったりニュアンスの違いによる争いだったりが頻発している
だから長年同じ場所に根を張り続ける京都の人たちは暗黙のお互いに不快にならないようなルールを独自に定めたりしていたようだ
それぞれが形式的にルールにそえばそれぞれの「そんなつもりではなかったのに。。。」といった争いを回避できるという計らいからである
さすが千年の都というべきなのか、日本嫌いな日本人がよくいう「くだらない硬いルール」とやらは元々は思いやりから生まれていたんだなあと感じる
僕は日本大好き!というわけではないのだけれども日本古来からの洗練されたルールやマナーというものは美しいし綺麗だと思う
時として大事だと思うし使えたらかっこいいと思うからたまに勉強したりする事もる
だからと言ってマナーや作法というものの根源は「思いやり」であると思っているので相手が知らない守らないからといって強要したりひけらかしたりなんてのはしません
みんな楽しくいこうよ
話を戻せばそんな短文に様々な伏線などを織り交ぜる日本の文化で有名なのなんていうのは
・和歌
・俳句
なんじゃないかなと思う
Twitterは?って方々はおそらく後20年くらい待てばいいと思う
それぞれが 5・7・5 の言葉をベースに意味のあるキーワードを織り交ぜて一つの雰囲気のある歌に仕上げる
類を見ない日本独自の高等文学だと思う
5・7・5で自由に世界を生み出せる日本人に140字も与えあたらなんでもできるに決まっているだろと誰かが言っていたが日本人がtwitter大好きな人が多いのはこういうところから来ているのかなと思う
今回はそんな和歌俳句を語るわけ
ではなく
おそらくみなさん聞いたことはあってもご存知ではない
都々逸を紹介しようかなと(以下 とどいつと書きます macが変換してくれないので)
とどいつというのは江戸時代末期に流行った 7・7・7・5(5・7・7・7・5もあり)で構成される定型詩なんです
男女の恋愛を題材にしていることが多いので情歌とも言われる
・立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
・恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
・三千世界の 烏を殺し 主と朝寝がしてみたい
・酒も博打も 女も知らず 百まで生きる 馬鹿な奴
なんてのはどこかで耳したことある人は多いんじゃないかなと思います
最初の詩なんてのは美しい女性の有様や様子を描いたうたですね
二つ目のは漫画なんかでタイトルなんかに使われてたりします
三つ目が個人的には一番有名では?と思ったりします
こちらかの有名な高杉晋作の詩ですね
いつ死ぬかもわからない命、カラスが鳴く頃には帰らなきゃいけないのなら世界中のカラスを殺して殺し尽くした朝に永遠と夜が来ぬまま寝ていたいという詩ですね
これらとどいつ
僕は短歌や俳句や和歌よりも直球ですしわかりやすくて好きだったりします
割と近代に近いというのもあってか古くささと日本ならではの小粋な洒落も混ざりながらわかる単語で紡がれているあたり好きです
三味線に乗せて歌うことを想定しているからかリズムなんかもいいので
しれっとこういうことを言える大人になりたい22歳の夏です